毎年死亡事故が発生するマン島TTレース:世界一危険な公道コース

世界には様々な危険なレースが存在しています。

ドライバーが完全に孤立する可能性のあるパリ・ダカールラリーや、平均速度が時速350キロを超えるインディー500など、一歩も違えばドライバーの生死にも関わってしまいます。

中近年ではドライバーを守るための様々な取り組みにより、年々死亡事故も大幅に減ってきています。

しかし、そんななか安全面の対策が何もされてい、危険すぎるレースも存在しています。

今回は、毎年のように死者を出している、「マン島TTレース」を紹介します。

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マン島とレースの歴史

イギリスとアイルランドの間に位置するマン島は、イギリスの特別領域として扱われています。

人口は、約8万6千人で、独自の自治権を持っています。

マン島は非常に涼しく、1年を通じて平均温度は20度以下で、秋から冬にかけて非常に雨が多い気候となります。

マン島の産業は主に農業と観光で成り立っており、住民はイギリスの市民権を保有しているといいます。

マン島にはサーキットはなく、公道でのレースが行われてきました。

1904年には自動車レースが初開催されており、その後、1907年からは2輪のレースが開催されるようになりました。

コースは農業地帯や、市街地を通る公道を使用し、最高速度は時速320キロにも達するのです。

コースのすぐ横には民家が立ち並び、広大な農業地帯にはガードレールもなく、「コースオフ=死」を意味するかのような、危険すぎるレイアウトなのです。

「マン島TTレース」は世界で最も歴史のあるレースの一つで、1949年からロードレース世界選手権も開催されていました。

しかし、あまりの危険性のため、ドライバーやチームが参加を拒否するなど波乱のレースとなり、最終的に1976年を最後に開催は見送られことになったのです。

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マン島TTレースに参加した日本人

危険すぎる「マン島TTレース」には、これまでにも多くの日本人ライダーが参加しています。

1963年には、伊藤光男さんが26歳で日本人初のマン島TTレース優勝を飾りました。

そして、四輪レーサーとして活躍してきた、高橋国光さんは当初2輪のライダーとして活躍し、1961年の西ドイツグランプリで、日本人ライダーとして初の世界グランプリを制しております。

1962年にはロードレース世界選手権第3戦として、マン島TTレースに参加しましたが、スタート直後に転倒してしまい意識不明の重体となってしまいました。

一命を取り留めた高橋国光さんは、このときの様子をこう語っています。

「誰も全開にできないようなコーナーう予選で全開で走れた。

世界チャンピオンクラスのライバルから、危ないと心配されたのが逆に嬉しくて、マシンも体も暖まっていない1周目から全開にしたのがいけなかった」

その後、高橋国光さんは四輪に転向したのです。

1966年には、藤井俊雄さんが公式練習中にクラッシュにより死亡しました。


2006年には、前田淳さんが後続車に激しく追突され死亡しました。

2013年には、松下ヨシナリさんが予選中に亡くなられています。

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コース以外の死亡事故原因

このように、マン島TTレースではこれまでに、240人以上のライダーが亡くなっており、今でも死者の出ない年はほとんどないといいます。

また、その事故の映像などは、あまりに悲惨なために、一般には出回らないとも言われています。

死亡事故が多い理由としては、もちろんコースの安全面もありますが、ドライビングテクニックの伴わない一般のライダーも参加できる「マッドサンデー」という走行枠もあるからなのです。

マン島TTレースの魅力に引かれた世界中のスピード狂が、毎年レースに参加しているのです。

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最後に

如何でしたでしょうか。

毎年死亡事故が発生するマン島TTレース、世界一危険な公道コースについて解説しました。

マン島TTレースは日本でも人気があり、旅行会社の観戦ツアーもあるんですよ。

しかし、あまりの危険性から、今後の開催が危ぶまれているとも言われています。

公道レースのため、安全面が改善されることは今後もないと思われますが、一般ライダーは参加する前に、サーキットで練習を積み重ねてほしいですね。

最後まで読んで頂き、誠に有難うございました。

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