F1グランプリで起こった最悪の3大事件:スパイゲート・クラッシュゲート・ミシュランゲート

人は何かの目標に向かっているとき、良くも悪くも周りが見えなくなることもありますよね。

一心不乱となるその姿は、ある意味では美しいのかもしれません。

しかし、目標達成のために手段を選ばず、ルールを破りってしまっては本末転倒です。

正しい方法で、決められたルールを守って達成した偉業が讃えられるべきであり、不正をして得られた栄光は、それ以上の闇に飲み込まれてしまいます。

今回はF1グランプリで実際に起った、とんでもない事件をについて紹介していきます。

長いF1の歴史には沢山の事件が起こりましたが、今回紹介する事件は人が起こした不祥事とも言える事件です。

人が起こす事件程、不快で救いがありません。

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スパイゲート事件

2007年のF1でとんでもない事件が発生しました。

それは、F1の歴史の中でも最悪な事件とも言われる「スパイゲート」です。

これは当時フェラーリで働いていた「ナイジェル・ステップニー」が、フェラーリの重要なテクニカルデータをマクラーレンのエンジニアである「マイク・コフラン」に渡していたと言われる事件です。

フェラーリからの発表を受け、FIAは調査を開始しました。

その結果、マクラーレンは不法な手段でフェラーリから情報を入手し、アドバンテージを得ていたことが判明しました。

この年、「フェルナンド・アロンソ」と「ルイス・ハミルトン」の2人で計8勝を挙げたマクラーレンでしたが、最終的にコンストラクターズポイントが剥奪され、100億円以上の罰金を課されたのです。

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クラッシュゲート事件

2008年、ルノーには「フェルナンド・アロンソ」と「ネルソン・ピケjr」が所属していました。

そして、そのルノーがシンガポールグランプリでF1史上最悪な事件とも言われる「クラッシュゲート事件」を起こしました。

エースドライバーのアロンソは、予選15番手と非常に厳しいスタートを強いられました。

そしてレースが始まり、12週目にアロンソがピットインし、給油、タイヤ交換を済ませコースに復帰しました。

事件はその3週後に起こります。

チームメートのネルソン・ピケjr のクラッシュにより、セーフティーカーがコースに入りました。

この時、ピットレーンはクローズとなり、各チームはオープンになるまで給油タイヤ交換ができないのです。

そして、ネルソン・ピケjrのマシーンが撤去され、ピットレーンがオープンになると、すでにピットストップを済ませていたアロンソがトップになり、リードを広げることができたのです。

結局このままレースは終了し、アロンソが優勝したのです。

その後、成績不振などの理由から、ハンガリーグランプリで突然解雇を言い渡されたネルソン・ピケjrが激怒します。

そして、「シンガポールグランプリでのクラッシュは、チームからの指示」だったと暴露したのです。

その結果、当時のマネジングディレクターの「フラビオ・ブリアトーレ」とエグゼクティブディレクターの「パット・シモンズ」がチームを離脱し、当面、F1には関わらないことで同意したのです。

ミシュランゲート事件

F1のタイヤは、現在ではピレリタイヤのワンメイクとなっています。

しかし、2001年から2005年は、日本のブリヂストンとミシュランの2メーカーによる熾烈な争いが繰り広げられていました。

2005年、当時のエントリー台数は全20台で、ブリジストンが6台、ミシュランが14台となっていました。

そして、事件はアメリカグランプリで起きました。

金曜日のフリー走行で、「ラルフ・シューマッハ」がクラッシュを喫してしまいます。

その原因を調査すると、レース速度ではターン13のコーナーを安全に走れないことが 発覚したのです。

ミシュラン側も新たのタイヤを急遽空輸したり、様々な検討がされましたが、結果的にミシュランタイヤを履く14台は安全性が確保できないとして、レースへの不参加を決定 したのです。

これにより、決勝レースはわずか6台だけのような光景となってしまいました。

当時は上位8位までにポイントが与えられるシステムだったため、完走すればポイント獲得という、観客にとっては最悪なレース観戦となったのです。

最後に

如何でしたでしょうか。

F1で起こった事件について紹介しました。

とにかく「勝ち」に異常にこだわる人たちが集まる「F1」ですが、手段を選ばず目標に向かう姿はちょっと違いますよね。

確かにチームによる力の差はありますが、絶対にズルはいけません。

最後まで読んで頂き、誠に有難うございました。

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